霊覚寺

霊覚寺

霊覚寺の紹介

  • 伝統寺刹第55号(登録1973.11.3.)
  • 住所:慶尚南道咸陽郡西上面徳裕月星路567

基本情報

伝統寺院 第55号(1973.11.3登録)
この寺院は新羅憲康王3年(877)に深光大師が創建した寺院で、大韓仏教曹渓宗第12教区である海印寺の末寺である。
朝鮮王朝に入って廃寺となった寺を世宗31年(1449)に円瓊僧侶が再建し、その後何度かに渡って修造された。
純祖34年(1834)には不意の火災により華厳殿を除くすべての建物が全焼し、高宗23年(1886)、姜龍月大師が重修した後、多くの仏弟子を輩出した。
1950年の朝鮮戦争当時には、山神閣と倉庫だけを残して建物全体および華厳経版81巻3,284版と法望経2巻68枚までのすべてを焼失した。

華厳経板は雪坡·尚彦大師が監修して作ったもので、文化財級の価値がある有名なものだったが、焼失してしまったのは非常に残念なことである。
その後、1959年に海雲僧侶が華厳殿を、1966年に極楽殿を復元してかつての姿を取り戻し、修行道場としての形を整えて今日に至っている。
朝鮮戦争以前は大雄殿をはじめ一柱門まで19棟があり、周辺には毘盧庵、鳳凰台をはじめとする13の所属庵があり、その規模は海印寺に次ぐ大きな修行道場だったと伝えられる。

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