咸陽の藍溪書院

咸陽の藍溪書院咸陽の藍溪書院

所在地

慶尚南道咸陽郡水東面 藍溪書院キル 8-11

指定番号

史跡第499号

時代区分

朝鮮時代

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文化観光課

咸陽藍溪書院の紹介

朝鮮明宗7年(1552)に介菴姜翼が文憲公一蠹鄭汝昌先生を称えるために創建して濫渓書院と 称しており、明宗21年(1566)に賜額書院となる。
中宗時代の学者で書院の創始者である周世鵬が中宗38年(1543)に文成公安珦のために創建した白雲洞書院(別名、紹修書院)が最初の書院で、その次が濫渓書院である。

丁酉再乱(慶長の役)の際に焼失し、その後九羅に建てられ、光海君4年(1612)に旧跡の場所である現在の位置に再建された。
その後、粛宗3年(1677)に文簡公桐渓鄭蘊先生を西側に配享し、粛宗15年(1689)に介菴姜翼先生を東側に配享した。
また、別祠には㵢渓兪好仁と松灘鄭弘緒を配享したが、高宗5年(1868)に別祠を取り壊した。この書院には、儒生たちが修道した御定五経などの書籍が蔵板閣に保管されている。建物の構成は、祭享空間としては祠堂、東廡、内三門があり、講学空間としては講堂、東斎、西斎、蔵板閣、風詠楼などがあり、配置方式は急な傾斜地に前学後廟の一軸線に配置されている。

両斎は、傾斜地に配置され、1間は部屋、1間は高殿の板の間に、東斎を養正齋または愛蓮軒、西斎を輔仁齋または詠梅軒と呼び、前面に扁額がかかっている。
東斎の前には池があり、西斎の前には神道碑と切妻屋根の碑閣がある。講堂の側面には、正面2間、側面1間の板張の壁と門のある遇進閣の屋根の蔵板閣がある。この書院の出入口である風詠楼は、正面3間、側面2間の5梁構造八作屋根の二軒で、下部の柱は八角型の長台石を石柱とし、2階の板の間には鶏子欄干が設置されている。