霊源寺

霊源寺<

霊覚寺の紹介

  • 伝統寺刹第106号(登録2003.1.24.)
  • 住所:慶尚南道咸陽郡馬川面馬川三丁路544-659

基本情報

伝統寺院 第106号(登録2003.1.24)
霊源寺は咸陽郡馬川面三丁里の智異山中腹の海抜920mに位置している。正確な創建年代は不明だが、統一新羅時代の高僧であった霊源大師が建立したことから、寺の名前も霊源寺とされた。
一時は内智異で最大の寺院とされていた。この寺の規模は、天然スレートで作られた禅房が9軒、100間を超える部屋があり、ここで修行する高僧が多かったという。

高僧らを記した芳名録といえる祖室案録を見ると、芙蓉霊観、西山大師、青梅、四溟、志安、雪坡·常彦、包光僧侶など当代の錚々たる高僧らが109人もここで修行を修めたという記録がある。
霊源寺がその偉容を失ったのは、麗水反乱事件の際に反乱軍が味方の攻撃に追われてここへ逃げ、寺跡をアジトとして作戦上建物などをすべて燃やしてしまってからである。その後1971年に再建されたと伝えられている。
ここには多くの浮屠があり、願堂型の丸い石塔が5基あるが、土台は2層の塔身を持つ組立型となっている。これらの浮屠は霊源寺の遺物と推定され、霊巌堂塔、雪坡堂塔、中峰堂塔、清渓堂塔、碧虚堂塔、青梅塔など、名のある僧侶らが修道した所であることを立証するかのように高僧の号が名付けられた浮屠がある。
禅門念頌說話30巻を記録したという亀谷覚雲大師の舎利を保存したという上無住庵の筆端舎利の3層石塔が放光したという話なども、かつての由緒深い霊源寺の禅風を物語っている。