咸陽学士楼のケヤキ

咸陽学士楼のケヤキ咸陽学士楼のケヤキ

所在地

咸陽郡咸陽邑咸陽小学校内

指定番号

天然記念物第407号

時代区分

不明

I咸陽学士楼ケヤキの紹介

このケヤキは、朝鮮朝嶺南学派の宗祖である佔畢斎∙金宗直(キム・ジョンジク)先生が咸陽県監に在任(1471-1475)した当時、客舎が位置した学士楼の前に植えたと伝わる木である。樹齢は約1,000年と推定され、高さは21m、幹周が9mである。現在、韓国では樹齢千年以上の木が約60本あるが、そのうちの25本がケヤキであり、13本が天然記念物に指定され保護されている。このケヤキもそのうちの1つである。

珍しいのは、この木が樹齢千年以上の木であるにも関わらずとても元気な理由として、ここの土壌がケヤキの生長に非常に適合しているということである。この千年木は、咸陽郡民とここを訪れた人々から愛され、咸陽と彼らを守る守護神のような木である。

学士楼は、新羅時代の孤雲∙崔致遠(チェ・チウォン)先生がよく上ったと伝わる所で、1692年(粛宗18)に重建し、数回の補修を経て、興学斉、咸徳学校などとして運営されており、1919年に咸陽公立学校を経て咸陽郡立図書館として利用されていたが、1979年に郡庁前の現位置に移された。

戊午士禍の発端となった学士楼の扁額と、咸陽邑城の名残は消えたが、力強く聳えるケヤキの水管部と傘型に広く伸びていく枝が、過ぎし日の歴史を語っている。

戊午士禍と学士楼
性理学者として嶺南学派の宗祖であった金宗直がこの地の郡長に赴任し、ある日学士楼に上ったところ、当時観察使であった柳子光の詩板がかかっているのを見て、“どうして小人輩の文字が学士楼にかかっているのか、今すぐ撤去しろ」と命令し、詩板を撤去させた。
こうしたことから個人的な悪感情が高まっていたが、その後、二人が朝廷に薦挙されると彼らの悪感情が深くなり、ついに戊午士禍を起こすまでに至った。