この寺刹は、大韓仏教曹渓宗第12教区の海印寺の末寺です。新羅の末の景哀王元年(924)に孤雲・崔致遠先生が母親の祈祷場を建立し、観音祈祷をしていたところ、観世音菩薩が現れて上蓮という名を付けるようにいったことから上蓮台と呼ぶようになったと伝わります。創建以来、新羅の末に九山禅門のひとつである実相禅門をここに移し、禅門の最後の宝楼となったと伝わっています。
その後、歴代の高僧や大徳たちが修道・精進し、千年以上の霊験あらたかで神霊な修道道場でしたが、1950年の韓国戦争で焼け、1953年頃に再建され今日に至っています。この寺刹の裏側には白頭大幹に続く白雲山(1279m)がそびえています