碧松寺

碧松寺

霊覚寺の紹介

  • 伝統寺刹第12号(登録1973.11.3.)
  • 位置 : 慶尚南道咸陽郡馬川面グァンチョムキル 27-177

紹介

この寺刹は、大韓仏教曹渓宗第12教区の海印寺の末寺です。新羅の末頃に創建され、朝鮮の中宗の時の庚辰年(1520)に碧松・智厳大師が重修して『碧松寺 』と命名したと伝わります。 西山大師や清虚休静の前に韓国の禅脈を引継いできた碧渓正心と碧松智厳、芙蓉霊観のみならず、喚醒志安、瑞竜祥玟など朝鮮の禅脈を輝かせた8名の祖師が修道した道場として、韓国禅と碧松寺の縁は格別です。

粛宗30年(1704)に失火により焼失しましたが喚醒志安大師が再建し、哲宗元年(1850)に瑞竜堂祥玟大師が修造しましたが、1950年の韓国戦争の時に再び焼失し、1960年に元応・久閒和尚が倒れた伽藍を再建して今日に至ったいます。

現存する堂宇としては、法堂の宝光殿を中心として左右には方丈禅院と看月楼、前面には山門と鐘楼、後面には山神閣があります。 また、境内には宝物第474号の『碧松寺3層石塔』と民俗資料第2号の『碧松木長丞』、慶尚南道有形文化財の碧松堂智厳影幀、鏡巌集冊版、妙法連華経冊版などの多くの文化財が保存されています。

特にこの寺刹は、1950年代の戦乱の時にパルチザンのルートとして使用されたなど、惨い悲劇の歴史を抱えている所でもあります。 碧松寺の正確な創建年代はわかりませんが、寺の裏側の創建当時に建てられたものと推定される3層石塔を見ると、新羅の末か高麗の初めに創建されたものと思われ、現在3層石塔は宝物第474号に指定されています。

朝鮮の中宗15年(1520)に碧松・智厳大師が重修して『碧松寺 』と命名したと伝わり、韓国戦争の時には人民軍の野戦病院として利用されたこともあり、その時に焼失しましたがすぐに再建された今日に至っています。