この寺刹は新羅の憲康王3年(877)に深光大師が創建した、大韓仏教曹渓宗第12教区の海印寺の末寺です。 朝鮮王朝に入ってから廃寺されましたが、世宗31年(1449)に円瓊和尚が重修し、その後何度かに渡って修造されました。 純祖34年(1834)に不意の火災により華厳殿以外の全ての建物が全焼し、高宗23年(1886)に姜竜月大師が修造してから多くの仏弟子を輩出しました。
1950年の韓国戦争の当時には山神閣と倉庫だけを残して、全建物と華厳経板81冊の3,284板と法網経2札の各板68枚まで全て焼失しました。
華厳経板は雪坡・尚彦大師が監修して作ったもので、文化財級の価値がある有名なものでしたが焼失してしまい非常に残念です。 その後、海雲和尚が1959年に華厳殿を、1966年に極楽殿を復元し、過去の姿を取り戻して修行道場としての位置を確立して今日に至っています。
韓国戦争の前には大雄殿を始めとして一柱門まで19棟があり、周辺には毘盧庵や鳳凰台を始めとした13の所属庵があり、その規模は海印寺に次ぐ大きな修行道場であったと伝わっています。